戦道必ず勝たば、主は戦うなかれと日うとも必ず戦いて可なり
(せんどうかならずかたば、しゅはたたかうなかれというとも、かならずたたかいてかなり)
 「必ず勝てる」という見通しが立つならば、国王から「戦うな!」という命令が来ても戦うべきである、ということ。

 この言葉についてはどうなんでしょう?微妙という気がします。
 戦争のように「勝つか負けるか」「生きるか死ぬか」で割り切れる事ならともかく、現代社会はもう少し複雑で微妙な関係の上に成り立っていると思います。
 また組織の中で、このようなスタンド・プレーが過ぎれば、自分の首をしめることにもなりかねません。
 その覚悟の上で、なお動けるかどうかが問われている気もします。

 もっとも組織への依存があまり強くないタイプの人にとっては、これは普通にしている事かも知れません。
 私自身あまり強いほうではないので、こういう傾向はあると思っています。
 むしろ、やった後の行動をどうしていくかが大事ではないでしょうか?

 「逆らっても、今するべき」と決めた時、結果として欲しいものはなんでしょう?
 自分がそれを行い、成功することで組織全体の利益になるのか、それとも成功者、貢献者としての自分の評価をあげたいのか。

 前者であれば、自分がしたことの見返りを求めず、むしろ貢献者が誰なのかを分からなくするように努力するべきとさえ思います。
 評価されたい気持ちが出るなら、結局は後者ということになります。
 後者の場合、当然貢献者として目立つ必要があります。
 短期的に見れば、成功をもたらすことで評価も上がることでしょう。
 しかし、スタンド・プレーな行動として、いつかつぶされるはめになるのではないでしょうか。
 また失敗した場合にもスタンド・プレーである以上、誰からもフォローされないことも覚悟しなくてはなりません。
 そうすると勝っても評価なし、失敗すればぼろくそ、ということになります。

 組織の中で生きるにはあまり賢いとはいえないかもしれません。
 でも、組織の一構成員から脱却する気なら・・・

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