これを亡地に投じて然る後に存し、これを死地に陥れて然る後に生く
(これをぼうちにとうじてしかるのちにぞんし、これをしちにおとしいれてしかるのちにいく)
 絶体絶命と思われるような危険な場所に兵を投じて活路を開く、ということ。

 絶対に勝てる状況でなければ戦わない、という孫子の基本思想とは少しずれた言葉です。
 しかし兵に死力を尽くさせるためには、このような方策も必要な場合があるということです。
 この前の言葉では、「兵には利点だけを伝えればよい、欠点は伝えなくてもよい」と言っています。

 どんな場合にも使えるというわけではないでしょう。
 短期決戦の大勝負。寄せ集めたばかり、意見が割れているなどで組織にまとまりがない。圧倒的に不利な条件で、まともにやっては勝ち目がない。などの条件のときに、どうしてもする必要があればこうせざるを得ない、ということだと思っています。

 このような状況、実は時々あります。
 たとえば何かイベントをしようというときには、各部署から委員を出して話し合いの場がもたれることと思います。
 イベントまでの期間限定、普段は関わりのない人同士で何かを決める、でもやらなきゃいけない、という条件は上記に当てはまります。
 話し合い光景としては互いに遠慮しあって、発言者もないままに時が過ぎていく、となりがちではないでしょうか。
 その中で効率的に話し合うためには、各委員を「せざるをえない、発言せざるをえない」という状況に追い込むことだと思います。
 たとえば自発を待たずに強制的にマイクをまわす、期限と責任を持たせた役割りを振り分けるといったものです。
 委員で出された人たちの思いは、「できればしたくない」というのが多いと思います。「責任」という死地に追い込むことで、とにかく事態を進めていきます。

 ただし戦争にしても話し合いにしても、死地に追い込んだ強引さは喜ばれるべきことではなく、長い目で見れば信頼を失います。
 その後のフォロー、心配りは大事です。

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