戦勢は奇正に過ぎざるも、奇正の変は勝げて窮むべからず
(せんせいはきせいにすぎざるも、きせいのへんはあげてきわむべからず)
 戦の形というものは「正」か「奇」かの二つに分けられるが、その組み合わせ、変化については無限である、ということ。

 正攻法、奇襲と一言で片付ければ簡単ですが、それらをどれだけ上手に組み合わせ、その場に応じた形にしていくか、その臨機応変さが必要なことを述べています。
 机上の理屈ですべてを分かったつもりでいる愚かさを、指摘しているようにも思います。

 前項に続き、麻雀の話です。前項では常識から外れた手が勝つために必要なことを述べました。

 さて奇手で勝ったことに味をしめ、常に奇手を狙うようになったらどうでしょう。奇手はもはや奇手ではなくなり、その人にとっての常識になってしまいます。
 対戦相手に「奇手を狙っているに違いない」と思わせたところで、正しい常識的な手を打つ。その時相手は、そんな常識的な手は作ってないと思い込んでいるので、まんまと罠にはまってきます。それは正攻法でありながら、奇手になっているのです。
 このように「正」「奇」二つの戦法を組み合わせることで、対戦相手は「相手(こちら)を知る」ことが難しくなり、勝機を得にくくなるのです。

 どうやったらそれだけ相手をうまく乗せることができるのか、20年以上麻雀をしていますがいまだによく分かりません。説明することは簡単ですが、まさに「窮むべからず」です。

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