智者の慮は必ず利害に雑う
(ちしゃのりょは、かならずりがいにまじう)
 よく考える人は物事を利益と損失の両面から考える、ということ。

 どんな物事、計画であっても利益だけ、損失だけ、ということはなく、その両面を持っているものです。
 それを目立った利益、あるいは損失ばかりを見ていることで足元をすくわれる結果になったりします。
 先の言葉と同じで、目の前の利益にばかり注目するのではなく、その裏側を見極める考え方をすることをうながしています。

 我々は、常にその場その場での判断、選択をして行動しています。それが無意識か意識的かは置いといてです。

   例えば町で顔なじみを見かけた場合、声をかけるかどうかの行動の裏には何らかの判断が含まれているのです。
 自分にとって親しい関係の場合、話しをすることで得られる「快」の気持ちが利益になります。一方、そのことで時間を奪われることは損失です。
 反対にあまり親しくない場合、声をかけずに通り過ぎたことで非難されるかもしれないリスクの軽減が利益です。だから簡単な挨拶程度はしておこうという気になります。一方、話しても楽しくない相手に時間を費やしたことは精神的・時間的な損失です。
 どちらの場合にも、声をかけるという行動の裏には何らかの利害があり、それを無意識に秤にかけているわけです。

 声かけで失う時間などはわずかですから、損失もたいしたことはありません。
 しかし事業計画の場合、これらの利害を深く考えずにいたのでは、大きな損失につながります。
 そこで孫子は行動にあたって、多面的に判断し、意識化することをうながしています。
 そのことが失敗の軽減や、表からは見えにくい利益を得ることになると述べています。

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